自分にとっての価値

何かを身に付けるとき、そのことが本当にどれだけ自分に価値があるかを考える必要がる。

もし本当に価値があるものであれば、他の時間を犠牲にしてでも手に入れるだろう。
逆にそうなければそれほどがんばらないだろう。
改めて自分のことを考えてみる。日野晃先生の提唱されている身体操作は本当にすばらしく、
価値のあるものだと思う。であるがそれを手に入れるために全力を注いでいるかと言えば
全くそうではない。もっと価値のないことの多くに時間を使っている。そしてある程度の努力で
難しい難しいと言っている。大変素晴らしいものであるが、それを手に入れなくても普通に生きて
いけるのである。きっと子供の方が早くできるであろう。大人よりも無理だからあきらめるという概念
がないからである。大人になるといつのまにかできて当たり前。できないと自分が能力がないと思って
しまいがちである。しかしそれは間違えで、出来なくて当たり前なのだ。そしてできるようになるために
しっかり努力をする。スピードの差こそあれやればある程度は出来るようになる。数時間、数日という
単位ではなく数ヶ月、あるいは数年という単位でである。職人などはそうであろう。
空手をやって10年ぐらいになる。入門して初めて習う形。それこそ幼稚園生でも順番やかっこうだけなら
こなす。ほとんどの人は簡単にできるという。しかし、学べば学ぶほどその一番簡単な形ですら、
難しいと感じる。自分自身の空手も振り返ってみれば1年前とは比べ物にならないくらいの進化がある。
空手それだけには意味はあまりない。それを通じて身体の使い方や、考え方。挫折やできないことを
知り、どう工夫するのかが自己の成長へとつながる。
  今の自分は出来ない。大して努力していない「今の自分」である。努力すれば必ずできるようになるかな。